セフレメンタル南向き
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メンヘラ女はセフレにしやすいという風潮について

「メンヘラ女はセフレにしやすい」というような言葉を簡単に使うことや、こういった大雑把な考え方を疑いもなく自然なものとして受け入れる態度はなるべく避けたほうがよいでしょう。

たとえば、少しばかり異質な考え方を持っている人間のことを簡単に「サイコパス」と名指してしまったりだとか、空気が読めないくらいの意味で「アスペ」と呼んでしまったりだとか、精神医学などの領域で使われている専門用語がその具体的な症状や本来の語義を離れて、気軽に誰でも使えるスラングとして差別的に使われてしまうケースは数多く見られます。

おそらく、本当のサイコパスやソシオパスと付き合って苦しめられた経験もなく、また、アスペルガー症候群であるために社会生活が困難になっている人たちと真剣に関わったこともないのでしょうし、また、それらの精神的な障害を抱えながら生きる苦しみも知らないためにそのような雑な言葉の使い方をするのでしょう。

「メンヘラ」「メンヘラ女」というような言葉が、こういった雑な言葉の使い方でしかなく、インターネットスラングであるということは改めて言うまでもないことなのかもしれません。

「メンヘラ女はセフレにしやすい」、「メンヘラ女はセックスに持ち込みやすい」というような意味で扱われる「メンヘラ」は、語源から離れて雑に使われる「サイコパス」や「アスペ」に近い雑な決めつけの性質を持っています。

スラングでしかないメンヘラという言葉

しかし、「メンヘラ」という言葉の「なんとなくのイメージ」が、「自然なもの」として飛び交って大手を振っている現在の状況を考えると、この「改めて言うまでもないこと」はすっかり忘れられているようにも感じられます。

それどころか、「メンヘラ女はセフレにしやすい」というような言葉が流通する状況は、このような忘却を象徴するようなものであるともいえるでしょう。

ですから、このような「改めて言うまでもないこと」は、特に「メンヘラ女はセフレにしやすい」というような言葉を平気で使うことができる男性に対しては、何度も口を酸っぱくして言いすぎるくらいがちょうどいいのかもしれません。

セフレを作ろうとする男性が「セフレにしやすい女性」として扱うことになる、(あくまでスラングとしての)「メンヘラ女」というのは、「愛情に飢えていて、SNSやスマホや他人などに依存している傾向がある女性」という狭いイメージを託された女性でしかないように思われます。

ですから、「メンヘラ女はセフレにしやすい」というような言葉は、やや冗長に感じられるかもしれませんが、「愛情に飢えていて、SNSやスマホや他人に依存する傾向がある女性とはセフレ関係を築きやすい」とでも言い直し、特定の病名を持つ精神的な症状や障害などからは可能な限り切り離していく必要があるでしょう。

セフレにしにくい女性があらかじめ除外されている

「メンヘラ女性」と呼ばれる(あるいは自称をすることもある)女性は、もちろん、「愛情に飢えていて、SNSやスマホや他人に依存している傾向がある女性」ばかりではありません。

いわゆるスラングとしての「メンヘラ女」と呼ばれる女性の中には、前述したような諸特徴を持つ女性に加えて、各種の自傷行為を繰り返す女性、他人を陥れて自分の支配下に置くためならどんな手段も厭わないコントロール欲が強い女性、極度の虚言癖を持ち良心の呵責なしに平気で人を騙すような女性なども含まれます。

しかし、これらの「愛情に飢えていて、SNSやスマホや他人に依存する傾向がある女性」以外の「メンヘラ的な特徴を持つ女性」は、「セフレを探す男性」からは、「セフレにしやすい」と規定される「メンヘラ女」からは巧妙に除外されて、むしろ「セフレにしにくい厄介な女性」として警戒される傾向を持ちます。

これらの「セフレにしにくい厄介な女性」は、本来の意味における精神的な症状を抱えている可能性がかなり高いといえます。となると、これらの「セフレにしにくい厄介な女性」たちは、「メンヘラ女」であるにも関わらず「セフレにしにくい」ということになるのでしょうか。

この衝突地点において、「メンヘラ女」という言葉と「セフレにしやすい」という言葉の、それぞれに「雑」な言葉たちの結託は切断されることになります。

メンヘラという雑な言葉が指し示す対象の広範さ

この切断によって明らかになるのは、「セフレにしやすいメンヘラ女」がいる一方で「セフレにしにくいメンヘラ女」がいる、というだけの問題ではありません。

ここで明らかになるのは、「メンヘラ女」という言葉によってある複数のネガティブな特徴を持った女性たちを十把一絡げにまとめてしまおうということにそもそも無理があった、ということでしょう。

「セフレにしやすい」のは「メンヘラ女」というネットスラングでまとめられたふうになっている女性ではなく、「愛情に飢えていて、SNSやスマホや他人に依存する傾向がある女性」に限定されているのです。

この限定された女性の一群のみを「メンヘラ女」と呼んでいるのであれば「メンヘラ女はセフレにしやすい」という言葉を成立させるのはあるいは可能であるのかもしれません。しかし、困ったことに、「メンヘラ女」という雑な言葉が指し示す対象の女性はそれ以上に幅広く、雑駁なのです。

たとえば、自分のことを他人に向かって「メンヘラ女である」などと自称できないくらいに精神的に弱ってしまって抑うつ状態に落ち込んでいる女性も、気軽に「メンヘラ女」と呼ばれることがあります。

むしろ、このような「精神衛生」が悪くなっており抑うつで極端に弱っている女性こそが、正しく「メンタルヘルスの女性」と呼ばれる女性なのであって、「愛情に飢えていて、SNSやスマホや他人に依存している傾向がある女性」に代表されがちな「メンヘラ女」とは峻別される必要があるでしょう。

本当に精神を病んでいると性欲が減退する

ですが、あまりに雑な「メンヘラ女」という言葉は、これらの症状を持って苦しんでいる女性をも一括りにする広範さを持っています。

では、これらの抑うつで苦しむ「メンタルヘルスの女性」は、「セフレにしやすいメンヘラ女」なのでしょうか。というより、そもそも、「メンヘラ女」などというスラングを使ってよい相手なのでしょうか。

まず、前者から見ていくと、抑うつで苦しむ「メンタルヘルスの女性」に関しては、「性的欲求の減退、鈍化」という症状を強く打ち出す傾向にあるため、セックスするところまで持っていくのが極めて難しいといえます。ですから、「休養が必要な女性」ではあっても、決して「セフレにしやすい女性」ではありません。

「メンタルヘルスの女性」をもし「セフレ」にしたいのであれば、まずは「メンタルヘルスの女性」に適切な治療を施し、充分な休養をとってもらい、一時的な「寛解」によって精神的な健康を取り戻してもらい、セックスができる体調を整えてもらう必要があります。

つまり、セフレになる可能性を獲得するためには、自称他称問わず「メンヘラ」などとはとても言えないような、健康な精神状態を持つ必要がまずはあるということです。となると「セフレにしやすい」のは、むしろ、「性的欲求をしっかりと持っている健康な女性」という図式が見えてくるでしょう。

後者の問題は、希死念慮などに直結している「うつ」で苦しんでいる女性のことを「メンヘラ女」などという言葉で片付けてはいけない、という一言だけで済む話であるでしょう。

「セフレにしやすい」というような言葉と容易に接続が可能になるような「メンヘラ女」という女性は、おそらくは、「愛情に飢えていて、SNSやスマホや他人に依存している傾向がある“健康的”な女性」といいかえられるような存在であるということができます。

セフレ向きではない一連の症状を出す女性たち

抑うつのような「不健康」ではない場合を考えてみましょう。たとえば衝動的に各種の「自傷行為」などを繰り返す傾向がある「境界性パーソナリティ障害」を抱えている女性の場合は、どうでしょうか。

「境界性パーソナリティ障害」を抱えている女性の場合、「自傷行為」が「性的逸脱」という形で発露されるケースが見られます。抑うつの症状が出ない場合は、精神的に健康ではない状態であっても性欲が保たれますからセックスは可能です。

強い孤独感、寂寞、他人に見捨てられることへの恐怖などから、人に強烈に依存する傾向も強いのも、「境界性パーソナリティ障害」を抱えている女性の主要な特徴です。

となると、これらの「境界性パーソナリティ障害」を抱えている女性こそが、「愛情に飢えていて、SNSやスマホや他人に依存している傾向がある女性」としての「メンヘラ女」の対象ということになるのでしょうか。

もちろん、彼女たちに「愛情への飢え」や「依存」などの傾向は見られることは疑いようがありません。しかし、これらの症状に苦しむ「境界性パーソナリティ障害」の女性が、もし、「セフレにしやすいメンヘラ女」のサンプルのように見えるのだとしたら、それは早計であると言わざるをえません。

「セフレ」という関係性を築く男女にとって最も重要なのは、人間関係に対する「乾いた感性」を持っているかどうかです。

この「乾いた感性」というのは、「肉体だけの関係」であることを理解した上でお互いに束縛しあうことなく、後腐れなく「肉体だけの関係」を楽しみ、性欲を解消することを目的にしてお互いの存在それ自体に執着することなく、セックス以上のことを相手に要求することが決してないドライな間柄を受け入れることができるような感性を指します。これは「成熟した感性」といってもよいでしょう。

ファッションメンヘラを見極める眼を持つ

「境界性パーソナリティ障害」に属する女性は、この「乾いた感性」という観点から見ると、はっきりいって「セフレ向き」の女性とはいえません。「セフレ」という割り切った関係を築くためには、症状が重すぎます。彼女たちは、その重すぎる症状に苦しんでいるがゆえにやむなく自分でもどうしようもなくセックスを選んでいるだけです。

これらの女性を相手にした場合、「一回目のセックス」には確かに持ち込みやすいのかもしれませんが、そこからの「依存」のレベル、「精神」の占める比重が、「セフレ」の成立条件を上回ります。

「セフレ」という特殊な成熟した関係だと思いこんで「自然解消」として関係を断った場合、「境界性パーソナリティ障害」を抱えている女性からは「ヤリ捨て」と判断され、「見捨てられた」と逆恨みをされて泥沼化する可能性があります。日常的な束縛も覚悟しなければなりません。

そうなると「後腐れのない肉体だけの関係」がベストの「セフレ」という関係性においては、かなり扱いにくい「厄介な相手」ということになります。

「メンヘラ女はセフレにしやすい」という言葉が使われるとき、その対象として語られているのは、おそらく「ファッションメンヘラ」と称される層です。「ファッションメンヘラ」は、精神を病んでいたり人格に障害がある「ふり」をしますが、その内実はというと、心身ともに健康であり、セフレの相手としては申し分ないと言えるでしょう。

精神や人格にまつわる病や障害など諸症状への知識と理解をある程度持った上で、「ファッションメンヘラ」を見極める眼をしっかりと持つ、というのはセフレづくりにおいてはなかなか有効な戦略であるかもしれません。

その意味においてのみ、「(ファッション)メンヘラ女はセフレにしやすい」という説はある程度は「確か」であるとは思います。